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2005年9月4日 ミクシー日記
「悩むこと2」
人間が初めて自我に目覚める時期を青年期といますよね。この青年期における変化は、それまでとは質的に異なるものです。ルソーは『エミール』で、これを「第二の誕生」と呼んでいるように、明らかに初めて経験することが自己の中に起こるのです。思考力・自己意識などの心理的な面や、親子関係・友人関係(人間関係)などの社会的な面の変化があらわれる。内面の世界に意識が向けられ、自己について考え始めるから、人間関係(他人や価値観についてなど)なんかについても、本気で悩むようになるのです。
ドイツの哲学者・教育者シュプランガーは「青年ほど、深い孤独のうちに、触れあいと理解を渇望している人間はいない」と述べています。自分自身の自我の存在を自覚し、自分のまわりの世界から切り離された独自の主体的存在として発見することでなのです。理想や希望を持つ一方で、孤独を体験し、自分の弱さや醜さ、矛盾に気づき、自分に悩みや苦しみを感じやすくもなる時期なのです。
このような自我体験は、何らかがきっかけになって起こるのだと思いますが、一言で言うと「何かがうまくいかない経験」でしょう。具体的には「困難にぶつかる」、「自己の意識」、「人の死」、「仲間・友人関係」、「受験競争」・・・・など、様々な体験がきっかけになるのでしょう。他人と接触することによる、新しい経験や新しい知識によって、揺さぶられるといったこともきっかけになるでしょう。そして、人間はそれまでとは明らかに違った次元の悩みを抱え、自己と他人、自分が関わる社会について悩みはじめるようになるのです。 人間がこのとき味わう感情は、ネガティブなものが多いのですが、このような体験は、青年の発展を促す働きがあり、いつの日かポジティブなものへと変わっていくとされています。このような、辛い経験をするということは、自分と向き合い、ありのままの姿を受け入れ、自分の心を知ることにつながります。そして、それは他人の心を知ることや、他人への思いやりや共感といったことができるようにしてくれるのです。
人間は、自分が本当に辛い経験をしたときにこそ、弱者や困っている人、病んでいる人、悩んでいる人、傷ついている人の痛みを本当に理解してあげられるようになるのだと思います。辛い経験や悩むことが、いろんなことを理解してあげられる包容力になるのです。
しかし、複雑化した現代社会においては、様々な要素によってそのようなきっかけに触れることが少なく、実際、自己と向かい合う時期は、普通の大学に進学する人だったら大学入学以降へとずれつつあるように感じます。人によっても、この時期は、ばらつきが大きいです。 自立した人生を送るためには、主体性の確立が重要であります。確立には、それにいたる2つの経緯があるらしいです。
①ありのままの自分(私は、悩む自分も自分なんだと思えるようになりました笑)がわかり、自分なりの考え方や価値観、人生観を持ち、自分らしい生き方を確立すること。
②自分の内的な一貫性を保ちながら、社会ともうまく折り合いをつける社会化。
(私は、自分らしさ、自分の信念を追求するということ、そして、それら追求しながらも社会とうまく付き合っていくとを心に誓っています。極端に自分の道を追求しすぎているだけの人、これは、周りから見ればちょっとおかしいですよね?これはパーフェクトではないと私は考えています。自分の道を追求することはすっごくいいことだと思ってます。)
これら①②は、「安定」や「忍耐力」や「包容力」をもたらします。アイデンティティの確立とは、内面的には自分自身の中だけで納得できる像を見出すこと、外的には自分の居場所探しの問題ともいえるでしょう。つまり、自らの主体性や自立性を高める「個性化」と、社会に適応する「社会化」とを調和させ、安定を手に入れることでしょう。
しかし 実際のところ、「悩む」という行為を行っているとき、人間はその先に何があるのかわかりません。悩むことで何かプラスになるのかもわかりません。悩むこと自体が、本当に良いことなのか、本当は良くないことなのではないのか、自分だけがこんなことを気にして悩んでるだけ・・・もっと楽しく生きたい。いろんなことを考えすぎてしまって、夜、寝ることさえできなってしまうこともあります。ただただ苦しい。 「悩む」という行為自体は、今言ったように、わからない・答えが出ないといった大きな「不安」を感じるわけですから、とても苦しいことなのです。もし、「悩むことが自分を成長させてくれる」って心から本気で思えたら、確かに気持ちは楽になるかもしれません。しかし、到底そんなことは思えません。悩むこと、それが自分をすっごく成長させてくれたっていう経験を実体験した人しか、悩むことをプラスに考えられることができないのかもしれません。 「悩む」ということは、簡単に美化できてしまいますが、実際はそんなに単純じゃないのです。その本人にしかわからない辛さ、孤独、闇、うまくいかないもどかしさ、自身喪失とプライドの維持という葛藤、自分の正当化、自分の反省、後悔・・・いろいろな要素が複雑に人間に襲い掛かってきて、自分でも今の自分がわからなくなるものです。
いったい自分はどうしたいのか、解決させたいのか、目をつむって先に進むべきなのか・・・実際、「悩む」ということは言葉に表すことができないくらい辛く、他人には理解できないものなのかもしれません。 また同時に、「悩む」ということは自己と向き合うことですから、大きな社会の中での自分と社会のつながり、周りの人と自分はどうつながっていたのか、特に人間関係について大きな不安や疑念を抱えるものです。 悩んでる問題に対する答えを見つけたくても、漠然としていてうまくつかめないことが多いです。
この場合、その問題を早く解決しようとばかりいてもうまくいかないことが多いです。問題を見つめなおしてみたり、他人に相談したり、とりあえずやれることから手をつけて、状況の変化を探ったりする方がよい場合もあります。また、旅行やボランティア活動など、普段と違った場所に自分を置くことで、新たに見えてくるものがあるかもしれません。同じようなことを主張する精神分析で有名なエリクソン自信も、実際30歳近くまで不安定に悩み続けていたみたいです。たくさんのことを真剣に受け止め、真剣に悩み、そうすることで少しづつ自己を確立させることができれば、安定して悩んだり、ポジティブに悩んだりすることができるようになるのだと思います。
しかし、この「悩むことはどういうことなのか、本当に良いことなのか?」という問には、私の経験を話すことで、少しは皆さんにみなさんに伝わるものがあるのではないかと思い、自分の空白の2年間について、少し話したいと思います。本当は「今を大切に生きる」というのが今の自分のスタンスですから、あまり過去のことは気にしないようにしてるんですけど、過去の自分を忘れないということも、今後の職業においてとても大事なことだと思うので、「悩むこと」につながることだけをピックアップして書きたいとおもいます。
私は現在、ある程度自分でコントロールして安定することができるようになりました。 想像できない人もいるかもしれませんが、実際2年間、私は闇の中にいました笑・・・ まず自分がどんな人間だったかということから話したいと思います。 それまで、全てが思い通りになってきて、およそ苦労やコンプレックスなどといったことにはまったく縁がなく、というか、あんまり悩まずにスラスラ生きていました。高校も地元の進学校に入学。そこでも最初のテストで10番以内に入り、悩みや不安などといたことはありませんでした。(小さな悩みはたくあんありましたし、自己についてじゃない悩みや議論はしてきました。) 人間、壁にぶつからないでスムースに進んでるときは、あまり深く考えるということをしないものです。何も考えなくても、どんどん進んでいけてますから。
実際のところ、私は全然生長していなかったと思います。高校生という時期にいながら、自分では考えてる方だなんて軽薄に思っているだけで、自己に向かい合うということをしませんでした。 今だからわかるんですが、高校生のとき、自分は明らかに反抗期でした。小学校・中学校のときは大人を疑うということをしていませんでしたから、言われたことをそのまま受け入れ、なんでもすぐに言われたとおりに吸収し、なんでもすぐにできるようになりました。自分に不可能という壁を作りませんでしたから、何でも身につきました。
しかし、高校生ぐらいから青年期が始まり、大人や自分を疑うようになりました。いろいろなことを疑う心が芽生えたのです。そうすると、先生が言ったことがそのまますんなり受け入れられなかったり、反抗的な気持ちさえ持ってしまうようになりました。しなければいけないことがたくさんあるのに、それらは何のためにやるのか、やって何になるのか、こういった疑念とマイナス的な発想は、結果的に何やってもうまくいかないということにつながり、うまくいかないという経験をしたことがない自分にとっては、それは頑張るモチベーションを下げることにつながりました。
私の悪循環の始まりです。 私は部活だけやるという高校生になりました。 そして、高校三年の夏の終わり。 部活を引退し、はじめていろんなことに気づきました。自分にはサッカーしか無いということ。それまで逃げていた自分。自分や周りに向き合わなかった自分。サッカーを除いたら、「自分って何だ?」アイデンティティの危機です。 自分はそのとき気づいていたのです。しかし弱い私は、このときもまた逃げました。自分に向き合うことから逃避しました。
ここから・・・私は、長く辛い闇に包まれてしまうのです。 浪人・・・これは遠回りなことですし、一見マイナス要素ばかり浮かんできますが、私にとってはすっごく大事な時期だったと、今では思えます。というか、今の自分はこの浪人で出来上がったようなものです。私の人生において、もっとも大事な2年間だったと思います。甘ったれてて、精神的にまわりよりも子供だった私は、この時期、やっと自我に目覚めます。 それまでは、まわりのみんなが当たり前のように受験勉強していて、考えもしなかったのですけど、 「いったい自分は理系の大学に進み、この先どんなことをしたいのだろう?」 「大学にいったところで、その先何をするのか?それで自分は充実した人生だといえる生活が送れるのか?」 「自分のやりたいことって何だ?」 「とすれば、そもそも何のために大学にいくのだろう?」 「行く意味は?」 「自分の社会的な位置はどこなんだ?自分には友人はいるのか?」 「自分って?」 余計なこと考えずに勉強していれば成績なんてすぐに上がるのに、単純な勉強という作業に集中できなくなりました。 「みんななんで大学入学を目的にできるのだろう?」 「大学入学っていうのは、本来手段であるべきことなのではないか?」 「では、自分は何のために勉強してたんだ?」 「何で自分だけこんな余計なこと考えちゃうんだろう・・・他の人は考えないのか?」 すっごく不安定な状態でした。 何も続かない。何もやれない。考えすぎちゃって夜眠れないから、寝ないで次の日予備校へ。
そんな不安定な状態の人への対応を全く考えていない予備校に通っていて、ある日、そんな人間には絶対に言ってはいけない言葉を予備校の大人に言われました。 絶望しました。人間不信に陥り、人間関係を築くのが怖くなりました。自分にあったわずかな自信も完全になくなりました。もう、全てがどうでもよくなりました。自分が生きる意味を初めて考えました。でも、そのときの自分には生きる意味がありません。人を信じられないし、金銭的に迷惑をかけてる親に、こんななさけない自分を見せることは絶対にできない。誰にも相談できなかった。自分の存在意義は?
私は一人で悩みつづけました。 そこで、初めて自分と向き合うということをし始めたんです。初めて考えることがたくさんありました。悩まないことがどんなに楽か。悩まないで勉強している人がどんなにうらやましかったことか。 不安定で不器用な自分に対して絶望していた自分ですが、1浪 の12月、変化が起こったんです。それまでの意地や見栄を捨て去り、素直に自分が今やりたいことをやっていこうと思えるようになったんです。(この辺の細かいことは省略) 大きな決意とともに文転。周りの人からは反対されたけどね。今さらかよ!?バカか!?ってね。
2浪。 私は「河合塾」で救われたのです。出会えた先生方には、一生感謝して生きていくと思います。彼らの生きていくための哲学、新しい価値観・考え方に触れ、自分はありのままの自分を肯定することができるようになっていったのです。自分を認めてくれる先生方に会えたことも大きかったです。 (今の自分を形成する様々な出来事がありました。感動的なことがいくつも笑・・・ここでは書きません) そして、ついに自分は、心の豊かさを手に入れられる道を見出せたのです。豊かさとは何でしょうか?高学歴ですか?お金持ちですか?その瞬間だけ楽しいことをすることでしょうか?人や物の表面が美しいことでしょうか? 私は、人生を自分なりにすばらしいものにしてくれる、真の幸せをもたらしてくれる、生きる原動力ともいえる「心の豊かさ」こそ真の豊かさだと思うのです。それこそ、自己実現であり、安定をもたらしてくれるものです。
細かいこと、具体的なことは書きませんが、私はこういう方向に向かいました。 私にとってこの2年間は、困難であり、長く深く悩む時間でした。しかし、本当の意味で、自己と向き合い悩むことは、全ての人間に必要なことだと思います。それが早いか遅いかであり、優劣もありません。高校生で経験する人もいるでしょうが、30歳で経験する人もいます。 ただ、自分の経験から言えば、「悩むこと」というのは、人間を大きく成長させるものです。確かに「不安定」をもたらすものですが、それは、強固な「安定」へのきっかけなのです。安定を手に入れたとしても悩みが消えるということはありません。しかし、本気で悩んで得た強い自分があれば、次からはもっと楽に乗り越えられるようになっているでしょう。自分が辛さを経験することは、他人の辛さを本当に理解できる力にもなります。それが人間の「成長」なのです。
悩みは、人間が生きている限り消えません。しかし、「この課題は自分がもう一段階高いところにいくための試練だ」「今悩んでいることは、自分を成長させてくれる」って思って悩んでもいいじゃないですか?そのきっかけとして、私の過去の経験話が役立ってくれたらうれしいです。
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